まず、いくつものサイトの中から、このページを見つけてくれたあなたに感謝します。本当にありがとう。
「死にたい」「消えたい」と思って、何か楽に死ぬ方法はないのかと考えている最中だったのかもしれません。今は情報が溢れている時代ですからね。探せば自殺の方法なんていくらでも知ることができるでしょう。
もしかして、リストカットなどの自傷行為をして死と生の間をさまよっているところかもしれません。無意識のうちに切っていて、気づいたら手首に傷を負っている方もいるでしょう。
ですが、今は少しだけお時間をください。せめて、この文章の終わりまでのあなたのお時間をいただきたいのです。
なぜ「死にたい」と考えているのでしょうか?
- 友達と喧嘩をして
- 親と言い合いになって
- 恋愛関係がうまくいかない
- 配偶者とギスギスした関係に
- 金銭的トラブルに陥っている
- 多額の借金で苦しい
- 慢性疾患(病気)で苦しんでいる
- 身体的特徴をバカにされる
- 学校や職場でいじめを受けている
- 親から虐待されている(DV)
- 友達がいなくて寂しいから
- 周りとコミュニケーションが上手く取れない
- 自分に自信がない
- 怒られてばかりで自分には価値がないと思う
「死にたい」という気持ちは誰でも一度は考えることですから、その原因を上げていけばキリがないでしょうね。
ただ、本当ならこのような文章を書く前に、あなたのことをよく知っておくべきなのかもしれません。
「私(俺)の苦しさや辛さなんて何も知らないくせに」と怒っている方もいるかもしれませんが、それでも僕は、あなたが頭のどこかで「死にたい」「この世からいなくなりたい」と考えていることだけは良くわかります。
どのような悩みや苦しみがあるかは、おそらく直接お話をしないと完全にはわからないでしょう。
しかし、「そうした悩みや苦しみから解放されたい」誰しもそう思うはずです。おそらく僕もあなた自身も。
僕も幾度となく「死にたい」と思ったものです。そこには人間関係が上手くいかないなど明確な理由があれば、漠然と死んで早く人生を終わりにしたいと考えたこともあります。
ただボーッとしている中で、ふと「死にたい」と何度もつぶやいたり、スマホで無意識に「死にたい」「自殺の方法」などと検索していたりしました。
確かに今この瞬間に命を絶つことも、苦しみや悲しみから解放される一つの方法でしょう。しかし、それは1つの方法でしかないのです。
人は追い込まれた時、見えるものは極端に狭くなる生き物です。いわば、一つのことしか考えられなくなります。そして、「その方法しかない」と信じて疑わず、実行してしまうのです。今回の場合、それは「自殺」というものでしょうね。
しかしながら、世の中にはどんな時もたくさんの方法が用意されているものです。特に日本なら尚更のこと。僕やあなたが知っている以上に、様々なセーフティーネットが用意されています。
例えば、よりそいホットラインや日本いのちの電話連盟というところは、電話やメールで悩みの相談をすることができます。18歳までの方ならチャイルドラインというものもありますね。
辛い時、苦しい時、悲しい時、いつでも頼れる場所が世の中にはたくさんあります。
僕たち京都教育サポートセンターもその一つです。京都教育サポートセンターは電話やメールでの相談はもちろんの事、実際に会ってお話をしたり、あなたの居場所の提供もしています。
人生の壁にぶつかった時、立ち止まって動けなくなってしまった時、大切なのは誰かに頼ることです。
一人で考えていても一度ネガティブな考えをしてしまうと、そこから抜け出すのは簡単なことではありません。
だからこそ、頼ってみてください。大丈夫。必ずあなたのことを受け入れてくれます。
実は僕たちは生きたいのかもしれない
僕自身が「しにたいしにたいしにたい」と何度もつぶやきながら、ただ闇雲に自殺掲示板なんかを見ていた頃、ふと思ったことがありました。
「本当は死ぬ気はないのだけれど、ただ今の苦しみから抜け出したくて”死”を選んでいるんじゃないのか」
本当は生きていたくて、平穏に暮らしたい。しかし、現実は辛いことばかりが積み重なっていき、追い詰められて追い詰められて、気がついたら頭の中には「もう嫌だ。人生を終わりにしたい」「死にたい」という考えしか浮かんでこなくなっていました。
おそらく死ぬ以外の方法を見つけられなくなっていたのだと思います。
今のあなたはどうでしょうか?もし、今頭の中にある悩みや苦しみから解放されるなら、「死にたい」とは思わなくなるのではないでしょうか。
もしそうであるならば、あなたの心の中にまだ「生きたい」という気持ちが少しでもあるならば、どうかどうか「死ぬ以外に本当に方法はないのか」最後まで考えて欲しいのです。きっと方法は見つかります。
「死にたい」「消えたい」と考えるほど辛くなる原因は、人によって様々でしょう。
しかしながら、多くの人に共通するのは、死にたくなった原因は1つではないということです。
苦しいかもしれませんが、少し思い返してみてください。辛かったことやひどく落ち込んだこと、ショックを受けたことなどが何層にも積み重なって、今の「死んでしまいたい」という気持ちに繋がっているのではないでしょうか。
今、頭の大部分を占めている悩み事は、いくつもの悩みの一つでしかないのです。
複数の苦しみを一気に背負いこむからこそ、自分の許容量(キャパシティー)を超えてしまって「死にたい」と考えてしまうのです。いくつものストレスに押しつぶされて、自分の処理能力を超えてしまった脳は考えることを止めてしまいます。
すると頭の中に残っているのは「ただ死にたい」という考えだけになってしまうのです。
恋人と別れてしまっただけならまだ生きていけるでしょう。家族が離婚するだけならまだ大丈夫でしょう。仕事をクビになっただけなら次の一歩を踏み出すことができるでしょう。
僕たちが「もうダメだ生きていけない」と思うのは、その出来事までにいくつもの障害や壁があったからです。
私たち人間は、不老不死の超人やスーパーマンでもありません。ですから、一人で悩みを解決しようにも限界があります。
私たちは人間だからこそ誰かと支え合って生きていかなければなりません。誰かと一緒なら、どんなに大きな悩みでも解決に導くことができるでしょう。
今、この文章を読んでくださっているあなたは、とてもよく頑張っていると思います。しかし、常に全力では息は続かないもの。
あなたが背負っているその荷を、一度、僕や他の誰かに預けてみませんか。二人三脚で走るのは、一人の時よりいささか遅いかもしれませんが、確実に1つずつ悩みを解決していけるはずです。
「迷惑」なんてことはありません。見えないながらも、僕らは互いに助け合いなが生きているものです。だから、あなたが誰かに頼ってみるというのは、ごく自然のことなんですよ。
ここで一度、一緒に休憩でも取りましょう。命を落としてまであなたが頑張ることはありません。ゆっくりでいい。また歩ける元気が出たら、一緒に少しずつ前に進んでいきましょう。
死にたいという気持ちは波がある
うつ病を患っている人が常に鬱状態ではないように、誰しも精神状態には波があります。そのどん底の状態が鬱といい、「死にたい」と思う根幹になります。
人間は、ロボットではない。道化師(ピエロ)でもない。
それぞれ感情があり、それは時に喜び、時には悲しむ。常に波打つものなのです。どんなにトレーニングを積んだ軍人であっても、感情は揺らぎます。
そして、その感情というものは、睡眠薬や精神安定剤、抗鬱薬によって完全にコントロールができるものではないと僕は思っています。
確かに、薬は効果を発揮するでしょう。しかし、永劫ではない。効き目はあくまで一瞬です。
心の病気にはすぐに回復するような特効薬はありません。
だからこそ、薬だけに頼るのではなく、いつかは断薬をして自身でコントロールできるようにする必要があります。
僕は正義感の熱い方のように「死んではいけません!生きてください!!!」ということを強くは言えません。
それは「死」もまた問題を解消する1つの方法でもあると考えているからです。だけどもそれは1つの方法。他の方法も試してほしいと心から願っています。
死にたくなったらどうする?死にたくなった時の対処法
思えば僕が初めて「死にたい」と考えたのは、中学校時代でした。今となっては、なぜそう思ったのか、原因は何だったのか思い出すことはできません。
中学時代のその日からもう10年以上たった今でも、不意に「死にたい」と思うことがあり、一度考え始めるとなかなかネガティブな思考から抜け出すことができません。
何度も嫌なことを思い出し、その時の言葉や自身を責める気持ちが頭の中をグルグルと回って、しばらくの間そればかりを考えています。
少しずつ追い詰められ、心が痛く苦しくなり、そして堰が外れたように「死にたい」と口にするのです。
人間には慣れというものがあるのものの、僕はその時の気持ちはいつになっても慣れることはありません。
「死にたい」病は突然発病し、心の中を荒らすだけ荒らして時間が過ぎればいつの間にか消えています。だからこそ、「死にたい」と思った時は時間の流れに身をまかせるというのが一種の解決策かもしれませんね。
僕は本を読んだり、音楽を聞いたり、映画を見たり、なるべくぼーっと考える時間をなくして、時間が過ぎ去るのを待ちます。
しかし、その対処法は一時的なものです。心に残ったモヤモヤはまた時が経てば復活し、僕を苦しめ心が悲鳴をあげるのです。
鬱ぎ込んでしまう気持ちを回復させるには、心の悩みを解消する必要があります。そのために一番いい方法は、誰かに心の内を話すということです。
アドバイスを貰うわけでもなく、ただ自分の心の中をありのままに他人に受け止めてもらうこと。これが「死にたい」という気持ちを解決する1つの方法だと思います。
全てをありのままに話してみよう
心理学に携わりもうすぐ5年ほど経ちますが、「死にたい」と話していた人の相談にのると驚くほど多い人がずっと一人で悩み続けているのです。
そして、どの人も一人で必死に耐えて何とか生きてきたという話をよくお聞きします。みなさん、そんなに一人で頑張りすぎないでください。
僕自身も体験していますが、やはり、一人だけでは全く解決することがありません。ためらうことなく、誰かに相談してください。
目に見えていないだけで、「死にたい」と思う人の多くは心に重症を負っている状態です。わかりやすく言えば、何本か骨が折れ、大量出血している状態でしょう。
怪我をしたら病院に行って治療してもらうもの。心も同じように傷を負えば、誰かのサポートが必要なのです。
もっとも信用できる人に相談をして貰うのが一番ですが、そんな人はいないという方は施設や「いのちの電話」や「こころの健康相談ダイヤル」といった相談ダイヤルを利用するのもいいでしょう。
とにかく、全てを一人で背負いこまず、支えてくれる人に全てを隠さず話すべきです。あなたが誰かに頼るだけで次の3つを得ることができます。
1.理解者を得ることで自分に自信が持てる
誰かに自分の話を聞いてもらうことで、「自分の話を真剣に聞いてくれる人がいる」という安心感を得ることができます。
その安心感はやがてあなた自身を包み込み、孤独から解放されて、自分の居場所を見つけることができるでしょう。
家があるからこそ、人は外に出られるものです。居場所が見つかれば、あなたは自分に自信を持ち少しづつ前に踏み出すことができます。
2.自分の気持ちを少しずつ理解できる
「死にたい」と思う原因は一つではなく、様々な出来事の積み重ねです。
それらに埋もれて身動きが取れなくなってしまうからこそ、「死にたい」としか考えられなくなってしまうのです。
自分の気持ちを外に吐き出すというのは、いわば自分の心の中を整理するということです。
自分は一体、何に悩んでいるのかを話しながら知ることで、原因が明確になります。
原因がわかってくれば、次にどんな行動を取ればいいのかを決めることができますよ。
3.他人の協力を得られば、早く悩みを解決できる
あなたが自分の気持ちを誰かに話すことで、初めて他人はあなたの考えを知ることができます。
その考えに同感し、一緒に悩みを解決したいと考えるようになれば、協力者を得ることができます。
死ぬ以外にも気持ちが楽になる方法を見つけることができますし、一人で行動するよりは早く解決にたどり着くことができます。
あなたが話すことで、全てが始まるのです。
「死にたい」「消えたい」と思っているあなたに
「死にたい」「消えたい」「この世からいなくなりたい」と考えていた中、見知らぬ僕の話を聞いてくださり、本当にありがとうございます。
きっとあなたは色々な人の意見を信義に誠実に受け止められる心のお優しい方なのでしょう。
しかし、その優しさあまり、嬉しい話や楽しい話だけではなく、他人からの心無い一言や誹謗、中傷、理不尽な苦しみにも全て耐えて受け続けてきたのかもしれません。
でも、あなたは決してダメな人間ではない。弱い人間なんかではない。
今、このページを検索して見つけてきていることこそが、「生きること」についてしっかりと考えている何よりの裏付けになるでしょう。僕は生死について考えているあなたを尊敬します。
だから、ご自身に失望することも、責める必要もないんですよ。
しかしながら、そのご自身の中に溜め込まれたものを上手く話したり、他の人に愚痴をこぼしたりできず、今日のように苦しんでいるのでしょう。
その心の奥底に溜めた想いを少しでもいいので、お話ししてみませんか?
いきなり、自分の全てのことを赤裸々に語るのは、誰しも恥ずかしく難しいことです。おしゃべり好きな僕でもね。
だから、少しづつでいい。あなたの気の向くままでいい。幸いにも時間はたっぷりあります。
僕ら京都教育サポートセンターは、あなたを支えていきたい、少しでも力になりたい。今すぐでなくてもいい。あなたの心の準備ができればいつでも構いません。お待ちしております。
小学生や中学生、高校生、大学生だけではなく、社会人、ニート、ひきこもり、フリーターの方でも相談してください。社会がつけた役職など関係ありません。素のままの自分をお話しくださいね。
「死にたい」という言葉を適当にあしらうのはもう止めにしませんか?
最近、「死にたいは甘えだ」「本当に死ぬ人は死にたいなんて言わない」という言葉をよく耳にしますが、僕はそうは思えません。
その人たちは一体何を経験して「死は甘え」などという考えにたどり着いたのでしょうか。おそらく、そのほとんど人はネットで知った適当な情報に踊らされているのに過ぎないのだと思います。
僕は「死にたい」という言葉は、一種の緊急信号だと考えています。
今にも沈みそうなボートの上で、人が一生懸命にSOSのサインを送ってきたら、誰でもその人を救出しようと考えるでしょう。
でも、この世の中はSOS信号を出している人を見かけても、鼻で笑い、沈んでいく姿をただ見ているだけの人もいるのです。
だからもう、人の「死にたい」をバカにするのは止めにしませんか?救える命があるのなら、少しでも手を伸ばしてみませんか。
「死にたい」を責めるのはもうなしにしよう
TwitterなどのSNSで「死にたい」とつぶやく人を僕は目にします。
その人はなぜ「死にたい」などとつぶやいたのか、詳しいことはよく分かりません。
ただ誰かに構ってほしいから「死にたい」とつぶやいたのかもしれませんし、本当に悩みがあって「死にたい」と言ったのかもしれません。
そうしたつぶやきに対して、頭ごなしに責め立てるのは止めてほしいと僕は思います。
「死を冒涜するな!」「命を簡単に捨てるなんてクズだ!」なんて言葉で、「死にたい」とつぶやいた人を完膚なきまでに言葉で叩きのめす光景を何度も見てきました。
しかし、「死にたい」という言葉はもう無意識というか、痛みに耐えるうめき声のように自然に出てしまうものなのです。
実際には見えないですが、「死にたい」という人の心は疲労や苦痛、ストレスなどでもうボロボロと崩れていて、その状態に上から拳を振りかざすようなことは、あまりにも残酷だと思います。
握りしめた拳を開き、手のひらを差し伸べるだけで救える人がいるのなら、もう責めるのは止めにしませんか。
kitaoka
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