軌跡

コラム

 こんにちは。スタッフのあやです。

(京都教育サポートセンターより)

当スタッフの過去の経験ですので彼女の原文ままに記載しています。したがって表現が相当激しく、様々な意味で刺激が強いので、それを承知いただいてお読みください。

また同じように苦しい思いを現在されている方は、お話を聞くしかできない場合もありますが、まずはため込まずにおっしゃってください。

メール soudan@ksce.jpn.org

逆に言えば彼女はこれを書けるくらいに今は前に向けて歩んでいるということです。どれだけ理不尽でもどれだけしんどくても過去は消えない、なくならない、厳しいけどこれも事実。特に未成年の間は選択肢もない選べないままということもあったでしょう。けれど自分の選択によって、先は少しずつでも変えられる可能性があります。そしてそれを実行できるのは基本は自分自身。でも完全独立歩行ではなくてもいいので当所含めサポートを受けながら進んでほしいと思います。

もしも死にたいと言われたら

では、ここから本文です。

(以下 本文)

 ふと思い出される。うつむいて暗い顔をして歩く私の姿。居心地のいい場所なんてなくて、いつも 誰かに怯えていて、泣きそうで、逃げたくて、行く場所がなくて、どうにもならないなら、いっそ の事死んでしまったほうがマシだと思ったあの日々。

 子供の頃は、機能不全家族で育った両親から教育虐待を受けて育ち、暴言、性暴力を受け、教師からはセクハラやモラハラを受けた。大人になって彼氏からはデートDVを受け、上司からはモラハラやセクハラを受けた。夜中にバイトの帰 り道、街頭の少ない暗い中で前から歩いてきた男に押し倒され首を絞められ口を塞がれ、殺され ると思った。彼氏は信じてくれなかった。彼氏と別れてからは、SNSで知り合った男性と日替わ りで情事にふける。酒を煽っては周囲に対する恨み節と、こんな事になってしまって満たされない可哀想な自分に酔いしれる日々。

 私が何をしたと言うのか。

 必死に頑張って生きてきたのに、 報われないなんてあり得ないのに。仕事で稼いでも、男と酒に消える泡銭。毎晩4リットルの大酒 と1日10時間以上の仕事で体を壊し、医者から働くことに対してドクターストップがかかり働けな くなった。酒のことを指摘され出したのはその後すぐだったか。毎日毎日死にたかった。どうやって死のうか、いつ死のうか、どこで死のうか。眠るように綺麗に死にたい。高校生の時の夢 だった。

 実行に移したのは高校2年性の秋。風呂に入るフリをして風呂場にカッターを持ち込んで 手首を掻っ捌いて湯船に浸ける。勢いよく脈打って流れ出る血液に若干の興奮と安堵感を覚えた。これで死ねる。もう終わり。この苦痛ともおさらばだ。しばらくして出血量がたりないと思 い始めてカッターで深く切り進めていき、指で傷口を掘った。何か硬いものに触ったと思えば、 骨に到達した。その後眠たくなってきて、「ああ、これで寝たらもう目覚めないだろうな。もう少しくらい生きてても良かったかもなあ。」と思った瞬間テレビがついた音がした。父が消しに起きてきてついでにトイレに行ったら、電気のついた風呂場で私が倒れていたのが発見されて助けられた。

 「死なせてたまるか」父の言葉は、今でも耳に残っている。大人になってから酒で人生の底つきを経験した。体と精神を病み、介護の仕事を退職して数ヶ月で堕ちていった。食べな がら飲むと酒を吐いてしまうからと最初は意識的に食べなくなって、最後は食べたくても食べら れず、水分を摂るのもなかなか出来なくて酒しかほぼ受け付けない身体になってしまった。長年愛用してきたリストカットで切り付ける傷口はかなり深くなり、カッターが一本丸々内手首に埋 まった。手当は自分で。深く無数の傷に外科医もお手上げで手当してくれなくなっていた。酒と 深い傷で痺れがあり、感覚が麻痺していて痛くもなかった。食事をとりたくてもとれない、頭がボーッとして生きてるかわからない。身体はだるくて気は遠のいた。リストカットで流れた血を 飲んで生存確認していた。

 私、まだ生きてる。

 早くこの命を終わらせなければ。そう思ったけ ど、いざとなったら怖くなって逝けなかった。仕事もせず、生活保護で、酒とタバコを煽り、酒ご とき辞められない自分が情けなくて、誰にも会いたくなくて、黒いパーカーのフードを深く被っ てうつむいてコンビニへ行き、それ以外は引きこもる。子供の頃から大人になるまで、お天道さ んに向かって顔を上げて生きられたことがなかった。

 ある時母に言われた「今の生き方でどうし ても苦しいなら、全く逆の生き方をしないといけない日がくるんじゃないかな」。もう母は、自分の意思で体を動かすことはできないし一生病院で終えると思うけど、元気な母が私に言った言 葉が今でも思い出される。恨み事はたくさんあるけど、母は母。大切な言葉は沢山残してくれ た。

 私は今、母の言葉と共に生きている。元気な母に伝えることはできないし、今の姿を見せることもできないけど、私は今、笑いながら自分らしく生きていく道を日々、一歩一歩、歩き続け ている。生きることも死ぬことも出来なかった私が、今は沢山の仲間に囲まれて生きている。も う1人で泣かなくていい。うつむいて生きなくていい。慰めてくれる酒も、男も、親もカッターも いないけど、私は今生きていると言うことを噛み締めている。「何もかもなくなっても、あやさんはあやさんなんですよ」いつかの就労支援員の言葉に今も助けられている。人を信じられなかった私が人の言葉を信じ行動し、望む方へ歩みを進めている。「今まで苦しんだんだから、これからは明るく生きていって欲しいと思ってる」ハロワ担当者の言葉に私も同感である。

自殺防止の手引き: 誰もが自殺防止の強力な命の門番になるために


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Aya

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