自分の気持ち・価値観と人の気持ち・価値観は違う前提

ふっと改めて思ったこと・・・・

人の気持ちを考えることは
お互いの尊重としては必要不可欠。

ただし、人の気持ちを考える上で
実際の情報(話した内容・表情・話の抑揚など関わった情報や物理的事実情報)以外で
ややこしくする可能性は自分の価値観・考え方

人の気持ちは自分の価値観でいかに測らないか。
それが大事だなと。

相手のためと思うことでも
本当にその人が求めているのかどうか、とか

相手がこう思っているだろうも
自分の価値観がどこまで混ざっているか
混ざりすぎればただの思い込みになり
それが当たることもあるが
かけ離れることもある。

かけ離れた場合はどう気がついて
どう修正するか。

当たることもあるんだけど
当たったからそれがすべてと思わないことも大事

確率・割合は多い少ないはあるけれど
可能性と結果の想定は
できるだけたくさんしておきたい。

すると考え方の柔軟性にもなるんじゃないかと。

気持ちがしんどくなるとき

実際に攻撃的なものをされてしんどいのか
(悪意があるのかというところもさらなる分岐)

人の様子から人の言動から
自分のコンプレックス・自己否定感を
ただ刺激されただけなのかは
別にしていくなんてのも必要。

後者はしんどくされたじゃなく
しんどくなっただけ。

自分でしんどくなっただけの場合は
どう自分で立て直すか、が大事。

それをセルフメンテナンスしていければ
社会の中で生きやすくなる。
メンテナンスのコンテンツをたくさん持つことが
できるように可能なサポートも考えたいところだなと思いますね。

また自分が自分の心の中からのコンプレックスや
自己否定から来るもので勝手にしんどくなった
場合・相手が悪いわけじゃないことは
少なくとも思えるようになっていきたい。

そのためのフォローもしていきたいですね。

様々なところから情報が溢れる現代

自分のコンプレックスや自己否定要素に対して
刺激を受けることは多々出てきてしまう。
それをやつあたりなどの攻撃性とかにせずにどうやって
セルフメンテナンスと自己防御するかも
気づくだけでなく
どこかで教えたり学んだりする時代なのかもしれない。

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みなみやま かつのり

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