「昔の人は凄かったんじゃないのか」
以前から「(今の)人間って、自然の力や昔の人の力をバカにし過ぎる所があるなぁ」と思うことが何度かあった。「世界の(あるいは日本の)七不思議」などという話を見たり聞いたり読んだりしたときに、そういうことを感じることが多い。イースター島のモアイ像とかエジプトのピラミッドとかの話の中には「これほど巨大な岩を、当時の技術で移動させ、積み上げることは不可能……」などという当時の人を無能力者扱いするような記述が出てくることが多い。
私は、思考方向が逆じゃないのかと思うのだが……。
当時の人は、巨大な岩や石像を遠くまで運んで建てたり積み上げたりする方法を知っていて、だから今、それが残っているんでしょ……今の自分たちにそれが思いつけないのは、当時の人より私たちの思考力が劣っているから……という考え方のほうが、私は現実の状況の説明としては筋が通っているように思えるのだが……。
「昔は劣っていて今は優れている」という考えを優先すると「当時の人間に、こんなことができるわけが無い」ということから「宇宙人が造ったのだ」などという話を作り出してしまう。
まあ、それは、それで夢物語としては楽しかったりするが、何でも宇宙人の仕業にしてしまうのは、あまりに安易過ぎるんじゃ無いだろうか。
今、こんなことをネタに話を書き始めたのは、1 ヶ月ほど前に兵庫県の加古川と姫路に挟まれる地域に仕事で出かけることがあり、その時に以前から気になっていた場所をJRで通過したからなのだ。
加古川までは新快速で行けるのだが、新快速の次の停車駅は姫路で、私の目的地は、それより手前だったので、加古川駅で快速(加古川からは快速も各駅に停車するので実質は普通列車)に乗り換えることになる。
加古川を出て最初の駅が「宝殿(ほうでん)駅」というのだが、ここが以前から気になっていた場所だったのだ。当日は仕事の目的地がさらに先なので通り過ぎるしかなかった。
ここが気になっていたのは「石の宝殿」というのがあって、それに関心を持ったシーボルトがスケッチを残しているというエピソードがあったりするので現物を見てみたいと思っているのだ。
ここ数年ではパワースポットブームで訪れる人も少し増えているとかいう話も聞くが、岩山の一部を垂直に掘り下げて巨大な岩の像が造られていて、それが「生石神社(おうしこじんじゃ)」の御神体になっている。推定500トンの巨石で、しかも一見すると水面に浮かんでいるように見えるという代物。
実際には水中で地面と繋がっているのだが、「水に浮く500トンの巨石」というのは「御神体」としての資格は十分だろう。
しかも、削りだされた形が六面体では無く一部に突起が造られていて、独特な形をしている。
その昔、テレビが昭和のアナログ放送の時代の「七不思議記事」の中には「現代の(ブラウン管)テレビの形とそっくり」ということで、「古代の人がテレビなど知るはずが無いから、未来人か宇宙人が造ったのでは無いか」などと解説している(いいかげんな)不思議本もあった。
その解説を書いた人は、その後テレビがデジタル化されて液晶テレビが当たり前になる時代が来るなどとは想像できなかったのだろう。その人が京都の神社仏閣の「七不思議」の記事を書いたら「京都中の参道の踏み石は、現代の液晶テレビの形とそっくりなので、これらの参道の床は未来人か宇宙人が造ったに違いない」とか書くのじゃないだろうか。
今の定説では「石の宝殿」は「造りかけの家型の石棺」とされていて、最終的には水面で下と繋がっている部分を切り離して90度起こして使うつもりだったのだろうと言われている。
それでも「500トンの巨石(巨大石棺)を運べるわけが無い」と言い続けている人も居るようだが、それより何千年も前にピラミッドやモアイを運んでいた人が居るのだから、500トンの岩一個くらい運ぶ方法は有るでしょう……それが思いつけないのは今の人が劣っているからでしか無い。
昨年後半頃だったか、テレビの番組で現代の若者にレコードプレイヤーとEP盤(ドーナツ盤)レコードを渡して再生させるというのをやっていたことがあった。何人かはターンテーブルにレコードを置く事を知っていたが、33回転と45回転の切替を知らずスロー再生したり、EP盤に使うアダプターを取り付けることが分からず、中心のズレたレコード盤がターンテーブル上でウネウネ動いて針を下ろすことができないということになったりしていた。
それでも「音は、今のデジタルプレイヤーの方が良い(はず……)」と思っている人も居るようだが、レコード盤の溝には(再生可能かどうかは別にして)2万ヘルツを超える波数までデータ記録できていたりするので、規格として2万ヘルツ以上のデータを保存できないCDなどのデジタル機器より高性能なメディアということになる。だから、ここ数年はデジタル音響機器で「ハイレゾ」などと言って、アナログ時代のデータ量に近い規格を考えたりし始めている。
40年弱も前の経験だが、オーディオにのめり込んでいた知人の家でテクニトーンというウーファからトウィターまでが階段状に配置されたスピーカーでレコードを聞いた時や、当時も絶滅寸前だったが「クラッシック喫茶」でタンノイオートグラフとか言う畳を立てたようなスピーカーで「ツァラトゥストラはかく語りき」のパイプオルガンの音を聞いた時は、けっこう衝撃的だった印象が残っている。デジタルプレイヤーで音漏れするほどイアホンを鳴らしても、あの衝撃波体験できないと思える。
(スタッフT)